市街中心部 二階堂 金沢街道エリア | 順路 浄妙寺 |
かまくら子ども風土記(上巻) )明王院あたり P32〜P33 | ||||
明王院 | ||||
十二所には金沢にいずる新道が戦前できましたが、旧道もそのまま残されています。 この旧街道を行くと、二つの橋と小さい木の橋があり、橋をわたると明王院五大堂があ ります。昔は将軍頼経が建てたりっぱな寺だったのです。この明王院は京都の仁和寺 の末寺で、真言宗の寺です。 鎌倉幕府では、将軍実朝が殺されて源氏の将軍が絶えたので、頼朝の遠縁に当たる 藤原頼経を迎えて将軍としました。将軍は、長谷の甘縄に寺を建てようとしましたが 、若宮大路にあった自分の屋敷からみるとこちらが悪い方角にあたるというので、鬼 門除けとして建てたのだといいます。そして五大尊(中心に不動、東に降三世、西に 大威徳、南に軍茶利、北に金剛夜叉の五大明王)をまつり、定豪律師を招いて、盛大 な儀式を行いました。これが五大堂といわれるわけです。このお堂のできたのは、嘉 禎元年(1235年)でしたが、寛永年間(十七世紀の中ごろ)火事のために不動明王一体だ けを残して他の四体は焼けてしまい、今では明王院だけ残っています。しかし、現在 でも、幸いその寺域をしのぶ池の跡や、風致を添えた汀石などが残っています。 |
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