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光触寺
(こうそくじ)

時宗   岩蔵山光触寺    創建  弘安二年(1279年)    開山  作阿上人
本尊  阿弥陀三尊 

かまくら子ども風土記(上巻)  光触寺あたりよりP29〜P31
  光触寺  
    十二所の旧道を進むと、左へ大きく回る道の右に、作阿上人を開山とする岩蔵山光触寺があり
ます。ここの本尊は、運慶作と伝えられる阿弥陀如来像で俗に頬焼き阿弥陀といわれています。
  それにはおもしろい話があります。
  およそ十二世紀中ごろ京都から有名な仏師運慶が鎌倉に招かれ、町局という人から、四十八日
を限って阿弥陀さまを作るように言いつけられました。運慶は苦心の末、四十八日間でりっぱな
阿弥陀さまを作りました。町局は大変喜んで信心し、香をたき花をささげて念仏を怠りませんで
した。町局の家には信心深い万才法師という坊さんが仕えておりました。
   ある日、家の物がなくなり、人々は万才法師のせいにしました。町局は前にもこんなことが
あり、怒って法師を牢屋へ入れてしまいました。町局は急用ができて渋谷という所へ出かけまし
た。その留守に家人が言いつけられたとおり、万才法師を縛ってくつわの水つぎを焼いて、左の
頬に焼き印を押しました。ところがいっこうに焼けあとがつきません。家人は町局が帰ってきた
らいいつけどおりになっていないのを見ておこるだろうと、もう一度押してみました。やはりあ
とがつきません。その翌日の夜中に町局は夢をみました。夢の中に例の阿弥陀さまが現われて泣
き悲しみながら、「なぜわたしの顔に焼き印をおすのか。」とおっしゃいました。町局は驚いて
翌朝本尊を見ますと、顔に焼けあとがあるではありませんか。「ああ、阿弥陀さまが身代わりに
なられたのだ。」と泣き悲しみ、後悔して、万才法師の罪を許してやりました。それから亀ガ谷
から仏師を招いて、頬の焼け跡を修理させましたが、何回やっても直りません。とうとうあきら
めて、後の世の人々にみせるのだといって修理をせずに置きました。後に町局は出家して比企ガ
谷に岩蔵寺を建てて、この本尊をおまいりしました。この本尊をかなやき仏ともいったそうです
。町局は、七十七歳でこの本尊に手を合わせ、念仏しながらなくなったということです。
   この物語は、頬焼阿弥陀縁起絵巻という絵巻物に書いてあります。この絵巻物は国宝館に、
本尊は光触寺に、国の重要文化財として保存されています。
 
         
塩嘗地蔵
   かまくら子ども風土記(上巻)  光触寺あたりよりP31〜P32  
   塩嘗地蔵  
     鎌倉時代から室町時代にかけては、地蔵信仰が盛んな時代でした。そのため、鎌倉にはいろい
ろな名前のついた地蔵がたくさんあります。光触寺のお堂の前にある塩嘗地蔵もその一つです。
  昔、六浦の塩売りが鎌倉に出入りするたびに、商いの初穂として、朝比奈峠を越えるとき、
塩をこのお地蔵さまに供えたのですが、帰りには塩がなくなっているのでお地蔵様がなめたのだ
ろうということで、この名が起こったというのです。たぶん、近くの人がいただいてしまったの
でしょうか。このことで昔金沢方面から鎌倉に塩がはいってきたことがわかります。
 
         
         
   鎌倉国宝館取材 2009.05.31ricky   
     
  光触寺本尊「阿弥陀三尊像」   
    今回、修理後初公開の光触寺本尊「阿弥陀三尊像」は、 死者を浄土に迎えるために、人間
界に下降する様子を現している三尊像です。「頬焼阿弥陀」とも言われるご本尊は来迎印を示
した阿弥陀如来です。本尊から見て、左に観音菩薩、蓮座を両手で持ち、右の至勢菩薩は手を
合わす、左右の菩薩は軽くひざをくの字にまげ、お迎えにふさわしい姿勢をとっているように
見えます。
  また、このご本尊にかかわる「頬焼阿弥陀縁起絵巻」上下巻も特別展示されていました。 
 
  「頬焼阿弥陀縁起絵巻」   
  上巻
縄をつけられる万才法師、その場面に、影向する阿弥陀三尊の絵。
火印をおされる万才法師、そばで、金具を焼く男たちの絵。
町局の夢に現れる阿弥陀の絵
阿弥陀の左頬に火印の痕をみせる阿弥陀像と罪を悔いる町局の絵
下巻
往生を遂げる町局の絵
 
  入場券の半券より、重要文「頬焼阿弥陀縁起絵巻」光触寺蔵  「往生を遂げる町局の絵」
 
 
    阿弥陀三尊像が描かれ来迎印を示された阿弥陀さまの左手と町局の合掌する手は布紐で結ばれ
ており至勢菩薩は両手を合わせ、阿弥陀さまから見て左の観音菩薩は往生者を迎え取るための蓮
座を捧げている、来迎を待ち往生を遂げる町局の周辺に万才法師、娘の嘆きの姿が描かれている
のが見て取れます。
 
 
次の絵巻図は

火印を押した源次郎夫婦そろって出家し堂を守る絵
往生を遂げる源次郎の絵
町局の娘、薬師尼の往生の絵

その他、
材木が運ばれ、仏師が本尊を作っている場面などの絵
焼けた頬に金箔をつけて何回も直そうとする仏師の絵
など。

絵巻物は、墨書きの物語にその場面の絵が書かれている。巻末の墨書きを現代文にすると、
  この絵巻は、思いがけず手に入れ、多年所持していたが、描かれている本尊が十二所道場
(光触寺)に安置されていることを知ったので、そのご利益を増すためにこの道場に寄進する
ものである。
時に文和四年(1355年)9月下旬のこと
法印、権大僧都清厳
と書かれてあった。

  以上のように絵巻物の一部の展示でしたが、ご本尊も同時に拝観することができ実感のある
取材となりました。
 
鎌倉国宝館取材 2009.05.31ricky 
 
     
 

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