| かまくら子ども風土記(上巻)P231〜P234 | ||||
| 極楽寺坂の切通しを下ると江ノ電の走る上に赤い橋があります。その橋の左側に極楽寺の山門が見えます。極楽寺は、執権北条義時の三男北条重時が建立した寺です。それより前には藤沢とか深沢にあったといわれていますか、重時は忍性と相談して、狭い場所からこの土地へ移したのだといいます。そして、重時の子の長時、その子の業時と、三代の力によって完成しました。完成した当時はとてもりつぱな寺で、七堂伽藍が備わり、塔頭が四十九もありました。また、十三重の塔や、その他二百七十以上の塔が寺内にありました。十三重の塔は大変高い塔で、いちばん上が遠くから見えたと伝えられています。塔の四方を守ったといわれる四ヶ稲荷というお稲荷さんは今でも残っています。そうした十三重塔や七堂伽藍のあったことは、極楽寺に残っている古絵図にはっきりと表されています。しかし、元弘三年(1333年)や建武元年(1334年)の戦いのため、焼けたり、こわれたりしてしまいました。また、数回の火災や地震のため、ほとんどがくずれて落ちて、今では塔頭であった吉祥院がただ一つ残っているだけになりましたが、寺の用地は、現在の稲村ヶ崎小学校に及び、時おり土中から、堂や塔の跡が出てくることから、昔の壮大な様子がうかがわせます。昭和五十三年には本格的な発掘によって、それがはっきりうらずけられました。 なおこの寺の、りっぱな木造の清涼寺式といわれる本尊の釈迦如来像は秘仏ですが、国の重要文化財に指定されている釈迦・不動明王・十大弟子の像は宝物館の中で拝観できます。庭には北条重時が植えた八重桜があったそうですが、現在八重一重咲き分けというめずらしい桜があります。 |
||||
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
|||
| 忍性 | ||||
| 極楽寺を開いた僧は忍性菩薩です。菩薩というのは、徳の高かった僧が、死後、天皇から賜る号で、忍性は、後醍醐天皇から賜ったのです。 忍性は性は伴氏、大和の国(今の奈良県)磯城島というところに生まれました。弘長年間(1261年〜1264年)鎌倉に来て文永四年(1267年)に極楽寺に住んだのです。大変情け深い人で、施薬院(貧しい人に薬を施してあげるところ)を建て、困っている人を救ったり、病院を桑ガ谷(長谷)に建て、多くの人に情けをかけました。癩病患者のために療養院を造りました。今でも極楽寺の境内に、癩病にかかった人たちの薬を作ったといわれるすりばちのような石が置いてあります。 また、馬の病院を馬場ガ谷に建て、動物もいたわりました。 そのほか忍性は土木工事にも力を尽くし、橋や道を直したり造ったりしました。極楽寺の切通しを造ったのも忍性だといわれています。 今は入れませんが、忍性菩薩の墓は稲村ヶ崎小学校の裏山にあり、高さ約3.55メートルの立派な五輪塔で、国の文化財に指定されています。 |
||||
![]() |
||||
![]() |
|
|||