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かまくら子ども風土記(中巻)P7〜P8 | ||
子育て閻魔(円応寺) | ||
小袋坂を登り切り、建長寺に向かう途中の左側の階段を登ると円応寺があります。円応寺は 江戸時代の「新編鎌倉志」という書物には、「新居の閻魔は、由比ヶ浜大鳥居の東南にあり新 居山と号する。」とあり、「鎌倉欖勝考」という書物には、現在の地にあったことが書かれて います。本尊は閻魔大王(国の重要文化財)で、顔は鎌倉時代の特徴のあるりっぱな作です。あ から顔、こぶの盛り上がった額、大きい目玉、かっと開いた口、亡者を震え上がらせるにじゅ うぶんな形相です。この閻魔大王は、昔から運慶の作といわれていました。そして、この像に ついて次のような伝説があります。 運慶は鎌倉時代の有名な彫刻家で、東大寺南大門の仁王像を彫った人です。彼が晩年病気に なって仮死状態になったときのことです。それぞれの道を通って閻魔大王の前に出ると、 「お前が運慶か。世間ではわしのことを血も涙もないやつと言っているが、そうではない。 わしは人間のいきていた間の行いについてさばく裁判官で、つまり正義の味方だ。わしの姿や 顔をちゃんと見ておけ。もう一度現世に帰してやるから、わたしの姿をそのまま彫刻して人間 どもに見せてやれ。」と言い終わったかと思うと運慶は仮死からさめました。この記憶をもと に作りあげたのが、高さ1.9メートルもある閻魔大王だといわれています。お堂には閻魔大 王を中心に、地獄の裁判をする十体の王がまつられています。三途の川で着物をはぐ怖い奪衣 婆の像もあります。 毎年一月と八月十六日は、お祭りでにぎわいます。この寺で赤ちゃんの名前をつけてもらう とじょうぶに育つということから、子育て閻魔といい、お参りする人が多いようです。 |
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円応寺さんは撮影禁止です。 知人の紹介により撮影。 |