かまくら子ども風土記(上巻)P146 | |||
巽荒神 | |||
今小路を北に進むと、右側に巽荒神の社があります。これは寿福寺の巽(南東の方向)にあたっていて、 もと寿福寺の鎮守であったということです。 巽荒神の北西の奥の山を観音山といい、観音がまつられていたといいますし、また、その山頂には、 さしわたし五メートルぐらいの岩が、南の方由比ガ浜に向かって突き出ていましたが、大地震でくずれ 落ち、今でははっきりしていません。この岩を望夫石と呼んでいました。昔、畠山重忠の子の重保が由 比ガ浜で戦ったとき、重保の妻が、この山からはるかに由比ガ浜を望みながら、夫重保の戦死をみて嘆 き悲しんで死に、石に化したといわれています。そのためこの石を望夫石と呼ぶようになったとのこと です。 |
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