かまくら子ども風土記(上巻)P163〜P164 | ||||
佐助稲荷 | ||||
銭洗弁財天を南に少しおりて、三差路を西の小道に入り、しばらく行くと、山の中腹にたくさんの鳥居が続いています。その奥に佐助稲荷があります。 源頼朝が、伊豆の蛭が小島に流されていたとき、病の床につき、三晩続けて同じ夢を見ました。ひとりの白ひげの老人が現れて、 「おまえの病気はこの草をせんじて飲むとよい、そうすれば必ず治る。治ったら兵をあげよ。成功疑いなし。」 というのです。頼朝が、 「あなたはどなたですか。」 と尋ねますと、 「わたしはかくれ里の稲荷である。」 といって消えてしまいました。 頼朝がその老人の教えに従って薬を飲むと、病も治り、やがて鎌倉に幕府を開くこともできました。その後、家来にいいつけて捜させたところ、かくれ里の西に小さな祠を見つけました。さっそくここにお宮を建てて、お宮の名まえを「佐助稲荷」とつけました。頼朝は幼いころ「佐(すけ)殿」と呼ばれていたため、すけが助けられた稲荷であるからこの名をつけようといったからです。また光明寺を開いた記主禅師は佐助稲荷のお使いの白い狐を助けて、いろいろな病気が治る薬を授かったそうです。 |
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