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六地蔵

かまくら子ども風土記(上巻)P140〜P140
  六地蔵  
     裁許橋の通りから長谷通りにでる左側の一角に人の丈くらいの石碑があり、
その前に六体の地蔵が赤いよだれかけを首にかけて立っています。このあたり
に昔刑場があって、幾人もの罪人がここで切られました。そのためか、このあ
たりは畑でしたが作物があまりとれず、「飢渇畠」といっていましたが、後の
人々の供養のために地蔵をたてました。これが六地蔵の始まりで、その後鎌倉
の町もしだいに変わり六体の地蔵も現在のところに移されました。
  なお、六地蔵についてはいろいろな話がありますが、仏教では人間の苦しみ
の世界を六種類に分けて六道といい、その苦しみを救うのが地蔵であるところ
から、それぞれの地蔵を建て、この名がつけられたものだといわれます。毎月
四日にはこの六地蔵にお参りをする人がいます。
たくさんの石碑の中には、
   夏草や  つはものどもが   ゆめのあと   
という松尾芭蕉の句碑もあります。
 
     

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