市街中心部 二階堂 金沢街道エリア | 順路 白旗神社 |
かまくら子ども風土記(上巻)P74〜P75 | ||||
来迎寺 | ||||
鶴岡八幡宮の横を東にぬけると横浜国立大学の付属の学校に出ますが、その長い かきねに沿って西御門の奥に200メートルほどはいると、右手の小高い山の中腹 に来迎寺があります。ここは1280年ごろ、一遍上人によって建てられたといわ れる時宗の寺で、境内にはいると、本堂が緑の木々の静かな中に建っています。 昔、いくつかあった西御門の寺のうちで、残ったのはここだけです。今でも西御 門の土地の人々から深く信仰されています。 本堂に安置されている如意輪観音は六本の手を持っていて、その衣にあざやかな 土紋(ねん土に模様をつけた鎌倉時代や室町時代の鎌倉特有の仏像の衣の装飾)が ついています。この像はもと源頼朝の持仏堂の法華堂の本尊であったのが、明治の 初めに法華堂が廃されたときに、この来迎寺に移されたといいます。 この観音には、次のような話が伝えられています。 昔、この鎌倉に由比の長者といわれた長者が住んでいました。大きな屋敷に大勢 の家来を使って、何不自由のない日々を送っておりました。この長者にはひとりの かわいい娘がいて、父の長者は、目の中に入れても痛くないというほどに愛してい ました。ある日、娘が由比ガ浜のほとりで遊んでいると、一羽の大鷲が舞い降りて 来て、あっというまに娘をさらっていってしまいました。あたりにいた人々が気が ついたときには、大鷲は空高く舞い上がっていたので、手の施しようもありません でした。この知らせを聞いて、気も狂わんばかりに驚いた長者は、八方手を尽くし て娘の行くえを捜しましたが、見つけ出されたのは、変わり果てた娘の姿でした。 かわいい一人娘を失った長者は、せめてもの供養にとその遺骨をこの観音像のおな かの中に納めたということです。今もその骨といわれるものが、箱に収められてこ の寺に保存されています。来迎寺にはほかにりっぱな地蔵菩薩の木像があり、本尊 は阿弥陀如来です。自(慈)休和尚像というものがあり、境内には万葉植物園が作 られています。 |
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