市街中心部 大町 材木座エリア | 順路 光明寺 |
かまくら子ども風土記(上巻)P183〜P184 | ||||
来迎寺 | ||||
五所神社から細い通りに出て北に進むとすぐ右に来迎寺があります。この寺 には、知恵のあるよい子を授けてくださるという子育観音があります。 たちいにも 念仏のこえを たずねつつ むかえる慈悲の ふかきみほとけ の歌が掲げてあり、前庭は来迎寺幼稚園になっています。ここは、頼朝が三浦 大介義明と多々良三郎重春の菩提を弔うために建久五年(1194年)に建てた 寺で、初め義明山能蔵寺といい真言宗の寺でしたが、開山の音阿上人が宗時に 帰依したため、建武二年(1335年)改宗して寺の名は随我山来迎寺と改めら れました。 三浦大介義明は和田義盛の祖父に当たる人で、三浦半島の衣笠城主です。 治承四年(1180年)頼朝が旗上げしたとき、子の義澄や孫の義盛を応援に送 り、自分は衣笠城でせめて来た畠山重忠を防ぎましたが、戦死してしまいまし た。義明が八十九歳のときでした。 頼朝は建久八年(1197年)八月二十七日、義明の十七回の命日に満昌寺( 横須賀市大矢部)の墓にお参りしましたが、生前、義明が尽くしてくれた心が 忘れられず、遺族のために、たくさんの供養料を贈ったうえ、義明を今日まで 生きていたものと見なすことを伝えさせました。ですから八十九歳で死んだの ですが、あと十七年生きたことにして、三浦大介を百六つ義明公というのです 。 境内には、義明の木像や義明・重晴の五輪塔の墓があります。なお、本尊は 三浦大介の守り本尊だという阿弥陀三尊で、寺では運慶作と伝えています。ほ かに百七十余りの五輪塔や宝篋印塔があります。 |
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来迎寺のミモザ | ||||
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左 多々良三郎重春公之墓 右 三浦大介義明公之墓 | ||||
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三浦大介義明公 家来之墓 |
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