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かまくら子ども風土記(中巻)P20〜P21 | ||||
明月院 | ||||
建長寺から北鎌倉へ向かうと横須賀線の踏切に出ますが、その手前に、明月院に入る道があります。その右側一帯が室町時代、関東地方に勢力をもった上杉氏が代々住んでいた管領屋敷の跡で、今は谷あいの住宅地になっています。そこから小川に沿ってさらに行くと、美しいあじさいで知られる明月院があります。 明月院ははじめ、北条時宗が建てた禅興寺の塔頭の一つでしたが、のちに鎌倉公方の足利氏満の命令で、上杉憲方が北条時頼の塔所として中興したもので本尊は如意輪観音です。明月院の石段の左に北条時頼の墓といわれる宝篋印塔があります。このあたりには一時最明寺という寺が建っていました。 時頼は最明寺入道時頼といわれ、人に知られないように全国を行脚して、よい政治が行われているかどうかを調べたといわれます。ある雪の日、行き暮れて上野(群馬県)の佐野源左衛門の家に泊めてもらいました。そのとき、源左衛門が粟のご飯をだしたり、大事にしていた鉢の木を火にくべてもてなしたという有名な話しが伝えられています。また時頼は武道をさかんに勤め、酒など売ることをやめさせました。時頼のおかあさんの松下禅尼は、障子の切り張りをして、何事も倹約し、物を大切にするように、とさとしたといわれます。時頼は、この寺で三十七歳のときなくなり、最明寺跡に眠っています。 |
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