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葛原岡神社
(くずはらおかじんじゃ)

かまくら子ども風土記(上巻)P160〜P161
   葛原岡神社と日野俊基  
    化粧坂を登ると源氏山公園と呼ばれる葛原岡に出ます。昔刑場だった所で、ここには日野(藤原)俊基の墓や、俊基をまつった葛原岡神社があります。
  俊基は、鎌倉時代も終わりの北条高時のころ、後醍醐天皇を助けて、鎌倉幕府を倒そうとした公家のひとりですが、はかりごとが事前にわかって京都で捕らえられ、一度は言いわけができて許されましたが、後に再びつかまり、鎌倉に送られ、とうとうこの葛原岡で切られることになりました。
俊基の妻はそれを悲しんで、家来の後藤左衛門尉助光に手紙を持たせ、ひそかに鎌倉へよこしました。助光は鎌倉に着いてなんとかして主人俊基に会って手紙をわたそうとしましたが、幕府の警戒が厳しく、その願いはなかなか果たされませんでした。翌年の六月三日、いよいよ切られることになり、俊基の乗り物が化粧坂にさしかかったとき、助光は乗り物近く駆け寄り、警護の侍に「主人に一目会わせてください。」と涙ながらに願い出ました。その真心に動かされて、武士たちはこの助光の願いを許しました。そこで助光は俊基に妻からの手紙を渡すことができたといいます。
  秋をまたで  葛原岡に  消ゆる身の  霧のうらみや  世に残らん
という歌を残して、俊基はついにこの丘の霧と消えました。
翌元弘三年(1333年)五月二十二日には、新田義貞の大軍がこの丘を突破して鎌倉に攻め込んで鎌倉幕府を倒しました。 
 
         
  日野俊基の墓  

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