極楽寺 長谷エリア 順路 成就院

虚空蔵堂
(こくうぞうどう)

明鏡山 星井寺   成就院管理

本尊 虚空蔵菩薩

 
     
  かまくら子ども風土記(上巻)P225〜P227   
  星の井と虚空蔵堂   
     極楽寺坂の切通を「坂ノ下」の方から上って行くと、坂の登り口の右側に古い井戸があります。これが鎌倉十井の一つで星の井です。星月夜の井です。星月夜の井・星月の井ともいい、
    われひとり   かまくら山  をこえゆけば  星月夜のこそ  うれしかのけれ
の歌を書いた碑があります。土地の人の話によると、「昔は、昼でもうす暗く、この井戸の中をのぞくと、昼でも空に輝いている星が映って見えたが、あるとき近所の女の人が井戸水を汲もうとしてほうちょうを落としてしまったところ、それ以後は、星の輝きは見られなくなった。」
ということです。
  この星の井については、また次のような話も伝えられています。それはこの井戸のすぐ上にある虚空蔵堂にまつわる物語です。  奈良時代の天平二年(730年)のことです。行基菩薩が全国を修行して歩いていたとき、ここで虚空蔵をまつる法を行いました。ところがこの井戸に三つの明星が輝き、その光が岩にまで映ってちょうど鏡のようでした。しかも、それが七日も続きました。
行基菩薩はその光をご覧になって、これはきっと井戸の中になにか珍しいものが入っているにちがいないと思い、土地の人々を集め井戸の水を汲み出させました。すると井戸のそこからぴかぴかと黒光りしている珍しい形をした石が出てきました。行基菩薩は、「これはきっと虚空蔵菩薩さまが、この石になっていられるに違いない。そして世の人に信心を起こさせようとされたのだ。石の形が明星に似ているのもそのためだろう。」と考えました。この話が聖武天皇の耳に入り、行基菩薩に、大きな虚空蔵菩薩の像を彫ってこの寺に本尊としてまつるようにと、さしずがありました。
   この石を取ってからは、井戸の中の明星も見えなくなりました。このことから、この虚空蔵堂を星井寺と呼び、後ろの山を鏡山と呼ぶようになったということです。
   鎌倉をよむ歌の枕言葉に星月夜ということばを使いますが、この井戸の名前からとったものか、あるいはまたこの谷の名を星月夜ガ谷といったことからとったのでしょう。
   法印尭慧の「北国紀行」という本に、「極楽寺へ行く途中に、星月夜とか、星御堂(虚空蔵堂)がある。」と書かれてあったり、また歌に、
     今もなお  星月夜こそ  のこるらめ  闇のともし火
とあることなどからもこの伝説の古いことがかんがえられます。
  昔の人が鎌倉へ入るのに、極楽寺坂の切通を越えて、坂の降り口にあったこの井戸の冷たい水でのどを潤し、星月夜に一休みしたことから枕ことばに使われるようになったのでしよう。
  なお、虚空蔵菩薩というのは、限りない知恵をもっているという仏さまです。京都や大阪のほうでは子どもが十三歳になると、虚空蔵堂に参詣して知恵を授かるという風習があり、また音声を授ける仏さまとしての信仰もあります。

 

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