極楽寺 長谷エリア | 順路 極楽寺 |
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かまくら子ども風土記(上巻)P229〜P230 | ||||
長谷の方から登って行くと、極楽寺坂の小高い所に、成就院という真言宗の古い寺があります。昔、弘法大師が全国を巡って修行をしたとき、しばらく江ノ島にいましたが、そのおりに、この成就院の裏山で虚空蔵供聞持法を行ったと伝えられています。 ここは広々と海原が開け、富士山が見え、大変景色がいいので、弘法大師はここで数日護摩をたき続けたそうです。すると、鈴の音はあたり一面に響きわたり、香の煙は海風にのってすみずみまで行き渡り、まわりに住んでいた人々は、そのありがたさに涙を流しました。そして、このあたりの作物はよく実り、人々は安心して毎日の生活ができるようになったということです。 その後、この弘法大師が護摩をたいたところは、ひとびとから忘れられ、荒れ果てていましたが、北条氏の三代目の執権北条泰時がこの話を聞いて、都から高僧を招いて、承久元年(1219年)に寺を建て、弘法大師 霊場であるから、普明山という山号で成就院と名づけました。そして不動明王を本尊として、北条氏の武運を祈りました。その後、元弘三年(1333年)兵火にあい、他に移っていましたが、江戸時代に今の場所に再び建てられ不動明王を本尊としてまつっています。 この寺には、文覚荒行の像というのがあり、ロダンに教わって日本の近代彫刻を確立した荻原守衛がこれを見て「文覚」という彫刻をつくりました。 |
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あじさい寺で有名 |
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