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鎌倉宮
  
かまくら子ども風土記(上巻)P52〜P53
  鎌倉宮 (大塔宮)  
     明治二年(1869年)に明治天皇が創建した神社で、全国に十一万何千というたくさんの神社がありますが、天皇自らが創建した神社はただ一つこの鎌倉宮があるだけです。祭神は大塔宮護良親王です。護良親王は後醍醐天皇の第一皇子で、いたましい最後をここでとげました。護良親王は、建武元年(1334年)足利尊氏のために捕らえられて鎌倉に送られました。このとき、この鎌倉に尊氏の弟の足利直義がいて、この付近一帯にはその当時、東光寺という寺がありましたが、直義はその寺の一部に護良親王をおしこめました。
  建武二年(1335年)北条高時の子時行が、数万の兵をもって鎌倉を取り返しに攻めてきました。直義はもろくも敗れて逃げのびる途中、家来の淵辺義博に命じて親王の首をはねさせました。 七月二十六日の朝でした。親王は年二十八歳でしたが、ここに気の毒な最後を遂げました。  明治天皇は明治六年(1873年)四月十六日、鎌倉宮に行幸し、参拝しました。よく十七日、皇居に帰るや直ちに三条実美を召して、「自分は護良親王のことを思い出すたび涙が流れて止めることができない。親王はどのようなお働きをしてなくなられたのか、そのありさまを一般の人々に知らせるようにしたい。」と話したので、三条実美は、「陛下の尊いお心を碑に記して、後の世まで知らせるようにいたしましょう。」と申し上げました。天皇も非常に喜ばれました。そこでできたのが境内裏にある鎌倉宮の石碑です。社殿の真後ろの山の中段には、護良親王を押しこめたと伝える、幅も深さも四メートルばかりの大きさの岩窟があり、宝物殿には親王ゆかりの品が飾られています。
 
         

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