市街中心部 二階堂 金沢街道エリア | 順路 荏柄天神社 |
かまくら子ども風土記(上巻) 大御堂橋のあたりP41〜P42 | ||||
報国寺 | ||||
浄妙寺からバス通りに出て、華の橋を渡り少し行くと、右側に報国寺があります。 山号を功臣山といいます。この寺ができたのは鎌倉時代の末期のころで、足利尊氏の祖父、 家時が建てたといわれています。家時のことを報国寺殿義恩と呼んでいます。 最初の住職は、中国にわたったこともある偉い坊さんで、浄妙寺にも住んだ臨済宗の仏乗 禅師(天岸慧広)です。本尊は、釈迦三尊で、釈迦の弟子迦葉の像は、当時の名仏師宅間 法眼の作で、宅間の迦葉と言い伝えられ、名作だったそうですが、今はなく、後のものが 迦葉堂にあります。この辺の谷を宅間ガ谷というのは、その宅間法眼の家があったからだ といわれます。 しかし、惜しいことに、明治年間に火災があって、かなりの寺宝をなくしてしま いました。それでも仏乗禅師が中国から帰る途中作った詩を書いた「東帰集」や「天岸」 「慧広」という木印、古文書、仏像、画像などが火災から免がれ、国の重要文化財とさ れて鎌倉国宝館に寄託されています。 古い寺には伝説がよくあります、室町時代この谷にも宅間猫という年老いた大猫が住み つき、里へ出ては子供を取って食べるので、当時の住職(暘谷乾幢和尚)が山に向かって 一喝したら、熊のような猫が山の崖の下で死んでいたという話が残っています。 |
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