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報国寺
(こうしんざん ほうこくじ)

臨済宗建長寺派   功臣山報国寺   創建  建武元年(1334年)    開山  天岸慧広(仏乗禅師)

本尊  釈迦如来 

かまくら子ども風土記(上巻) 大御堂橋のあたりP41〜P42
  報国寺   
    浄妙寺からバス通りに出て、華の橋を渡り少し行くと、右側に報国寺があります。
山号を功臣山といいます。この寺ができたのは鎌倉時代の末期のころで、足利尊氏の祖父、
家時が建てたといわれています。家時のことを報国寺殿義恩と呼んでいます。
最初の住職は、中国にわたったこともある偉い坊さんで、浄妙寺にも住んだ臨済宗の仏乗
禅師(天岸慧広)です。本尊は、釈迦三尊で、釈迦の弟子迦葉の像は、当時の名仏師宅間
法眼の作で、宅間の迦葉と言い伝えられ、名作だったそうですが、今はなく、後のものが
迦葉堂にあります。この辺の谷を宅間ガ谷というのは、その宅間法眼の家があったからだ
といわれます。
   しかし、惜しいことに、明治年間に火災があって、かなりの寺宝をなくしてしま
いました。それでも仏乗禅師が中国から帰る途中作った詩を書いた「東帰集」や「天岸」
「慧広」という木印、古文書、仏像、画像などが火災から免がれ、国の重要文化財とさ
れて鎌倉国宝館に寄託されています。
  古い寺には伝説がよくあります、室町時代この谷にも宅間猫という年老いた大猫が住み
つき、里へ出ては子供を取って食べるので、当時の住職(暘谷乾幢和尚)が山に向かって
一喝したら、熊のような猫が山の崖の下で死んでいたという話が残っています。
 
         
         
 
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