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宝戒寺
(きんりゅうざん しゃくまんいん えんどん ほうかいじ)

天台宗   金龍山釈満院円頓宝戒寺    創建  建武二年(1335年)    開山  円観慧鎮慈威

本尊  子育経読地蔵大菩薩 

かまくら子ども風土記(上巻)P109〜P110
  宝戒寺  
     小町大路が八幡宮前の三の鳥居から東に向かう横の通り(横大路と交差するところを
右に曲がるとすぐに、九月ごろ咲く美しい白い萩の花で知られる宝戒寺があります。
ここは北条義時をはじめ、代々の執権が住んでいた屋敷跡だといわれます。
そのころは大きな家がいかめしく建ち、門にはたくさんの武士が番をしていたことでし
ょう。この屋敷は、元弘三年(1333年)新田義貞が鎌倉に攻め入ったとき全部焼け、
同時に百年以上も続いた北条氏は滅びてしまいました。その後、建武二年(1335年)
足利尊氏が北条一族の霊をなぐさめるため、後醍醐天皇の命で寺を建て宝戒寺と名づけ
ました。
  初めは円観という坊さんが住職となりましたが、二代目は尊氏の次男といわれる惟賢
和尚がここにはいり普川国師と呼ばれました。
  境内の右には、聖徳太子をまつった太子堂があり、左には北条氏を供養する宝篋印塔
が建てられています。本堂の本尊は地蔵菩薩で、国の重要文化財に指定されています。
関東大震災のとき、像の胴が割れ、内部から出てきた記録で京都の三条仏師憲円が貞治
四年(1365年)に作ったものとわかりました。
  秘仏の木造の歓喜天像・惟賢和尚は国の重要文化財となっています。
 
     
 

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