腰越エリア

片瀬 本蓮寺
(ほんれんじ)


龍口山 本蓮寺

本蓮寺は、源頼朝が再建し将軍の祈願所となった。また源頼朝が父義朝の遺骨を持ち帰る
途中、ここで休んだと伝えられている。門前に「鎌倉殿 駒繋ぎの松」と立札がある。

本蓮寺は、日蓮が龍ノ口にて法難を免れた(佐渡に流罪となった)その場所に
建てられた龍口寺の輪番八ヶ寺の一つ。

龍口寺の輪番八ヶ寺とは、
片瀬常立寺、本蓮寺、腰越本成寺、勧行寺、法源寺、東漸寺、妙典寺、本龍寺
を言い、いずれも山号は龍口山である。今は龍口寺に住職がおられますので輪番制はなくなった。

長い参道をぬけると本蓮寺の山門があり、徳川「三ッ葉葵の金の紋章」と
白字で「御朱印寺」と書かれたお札が。
石造りの太鼓橋のあたりから、左の山の方を見上げると宝形造の屋根に青銅の相輪、
その先に黄金の宝珠が眼に入る「多宝塔」である。
一重の塔に裳階
(もこし)があるため二重に見える。
上屋根下の塔身は円形、回縁には高欄が、下屋根下は方形、
真ん中の上下の連続部に白色漆喰
(しっくい)
亀腹
(かめばら)(饅頭型)(まんじゅうがた)が、また宝鎖(ほうさく)は無く、相輪は水煙に代わって
下から四葉、六葉、八葉、の花輪が・・・・・。
              
 
「帰り来て  又  見ん事も固瀬川   濁れる水のすまぬ世ならば」
という宗尊親王の石碑がある。
宗尊親王は後嵯峨天皇の第一皇子、5代執権北条時頼の時に、13歳で将軍として鎌倉に入った。
将軍と言っても、名ばかりで、8代執権時宗の時代、将軍27歳のころその座を追われた。


(C) Copyright Ricky Aoyagi 1998-2005. All Right Reserved.