市街中心部 大町 材木座エリア | 順路 教恩寺 |
かまくら子ども風土記(上巻)P138〜P139 | ||||
本興寺と辻説法 | ||||
本興寺は辻踏切の北側の辻の薬師堂の反対側にあります。 日蓮上人は名越に仮住まいを持ち、毎日、大町や小町の辻に立って説法をしました。本興寺のあるこの地もその一つだといわれています。上人がなくなった後、その弟子天目上人もさかんに辻説法をしました。そして、延元元年(1336年)ここにお堂を建てて、法華山本興寺と名づけました。 開山日什上人のころからは、寄付や造営があってさかんになってきましたが、二十七代にあたる日径上人は、徳川家康の怒りに触れて、慶長十三年(1608年)京都六条河原で耳鼻そぎの刑に処せられ、本興寺も廃寺となってしまいました。その後、この寺の悲運を嘆く人々の努力が実り、寛文十年(1670年)日逞上人により再興され、現在に至っています。 |
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