藤沢 腰越エリア

江の島サムエル・コッキング苑

宇佐八幡よりの御分霊を戴き、九州大分県の賀来荘にて貞勲11年(西暦869年)より賀来神社
 (カクジンジャ)と呼ばれてから平成十五年までには、すでに1134年が経過しました。
 その後約800年、徳川時代には三河松平が賀来荘の藩主となりましたが、六代目の松平近濤(チカモト)は、
敬神の心厚く、安永九年に江戸屋敷に御分霊を祀り、社殿、拝殿、神楽堂までを 建設しました。
 明治時代となって、畑も人家もない荒野の鵠沼を住宅地に開発した伊東将行は、賀来神社の
   御神霊と、旧松平家の鳥居や灯台を文京区から鵠沼に遷座し、明治38年(1905)より、 
賀来神社 は鵠沼住民の郷社となりました。
 賀来神社には、仁徳天皇とその御一族、景行、成務、仲哀、応神、仁徳の五朝に奉仕した
武内宿襦が祀られていましたが、徳川時代からは大国主命、塩土老翁に稲荷神社などが加わり、
家業 繁盛に離厄、安産、経済と技能に力を付ける十三柱の御神霊が鎮座されています。
                                  神社内 「賀来神社の由来と御神霊」より

鵠沼駅前例大祭の山車
駅前神社下
賀来神社参道
賀来神社に参拝する親子、 お子さんに参拝の仕方など教えていました。
賀来神社内に建つ「鵠沼海岸別荘地開発記念碑」

  

浜辺に住まう、開発当初の鵠沼別荘風景 「ふじさわ」より
賀来神社例大祭のお飾り