藤沢エリア
 
遊行寺 

遊行寺は時宗総本山 旧東海道を戸塚へ向かう坂の上にある。
「藤澤山 無量光院 清浄光寺」という。
(とうたくさん  むりょうこういん  しょうじょうこうじ)
北条時宗のお寺ではありません。
1325年正中2年領主俣野五郎景平が、実弟遊行大第4代呑海(どんかい)上人のために、
遊行念仏の根本道場を建立して時宗の総本山となった。
第4代呑海(遊行)上人は各地を遊行した後,遊行上人の位
を譲って藤澤の地のこの寺に住んだ、
それ以来、時宗では引退した遊行上人は遊行寺に定住する

のが通例となり、通称、遊行寺と称呼されるようになった。
 
総門 (三大冠木門)(黒門)
この山門を入ると「いろは坂」 石畳の道を登る、
ここは春の参道の桜がきれいです。
上りきるとすぐに本堂が見えます。
法事の帰り「いろは坂」登りきったところ。
休憩所前より観る遊行寺境内
本堂 瓦がとても印象的
春季開山忌(かいさんき)(4月21日〜24日)
遊行寺第4代上人、呑海(どんかい)上人の忌日です。嘉暦(かりゃく)2年(1327)2月18日に亡くなりました。
以後、開山忌としての御忌法要であり、全国の宗門寺院の参拝団や信徒たちの参拝でにぎわいます。
宗祖一遍上人像
ご本堂内陣
地蔵菩薩坐像  坐像のお姿は珍しい
本堂の扉
宗祖一遍上人像
時宗の開祖 一遍上人は、延応元年(1239)伊予(愛媛県)の豪族、河野通広の次男として生まれ、
10歳で仏門に入られた。諸国を行脚し修行を積まれたが、一遍上人36歳の文永11年
(1274)熊野本宮証誠殿に参詣され、熊野権現より念仏賦算の神託啓示をうけました。
「往生は、ただ南無阿弥陀仏によってなされる」と悟りを聞かれ、だれ彼の区別なく、
南無阿弥陀仏を唱え、お札を渡すことが、「仏門の道」と知ったといいます。
時宗ではこの時を開宗の時としています。一遍上人はみすぼらしい衣を着た貧しい僧同様の
行脚の一生だったが、念仏をすすめて歩く一遍上人には、
宗教人に徹した厳しさがうかがわれたといいます。
宇賀神のほこら
富貴長寿の神として信仰されている。境内裏手の細い上り道の途中にあります。
徳川氏の祖先、新田一族の有親が時宗に入って、足利氏の追手から逃れることができたと喜び、
この小さな社を寄進した。
「日のいりてくれぬや富士のうしろ空」(通暁)の句碑がかたわらにあります。
宇賀神のほこら


ご本堂裏手より
中雀門
安政6年(1859)年に建立されたもので、境内内で一番古い建築物です。
「向唐門」造りといわれ、菊の御紋と三葉葵が刻まれています。
境内で開かれる骨董市
境内で開かれる骨董市
この遊行寺の象徴としての大銀杏。
かつては樹高31mもあったが、昭和57年の台風で上部が折損してしまい、横に広がった樹形となったと思われる。
 根元の周りにはベンチが拵えてある。
 藤沢市天然記念物、幹周:6.83m、樹高:16m、樹齢:300年〜700年
「骨董古民具蚤の市」 自分の心眼を試せる良い場所だと思います。古いもの・古く見せているもの・本物・
掘り出し物・ガラクタ 全てが骨董。買い物のやり取りが楽しみ。
最近のフリマとは一味違う。
毎月第1日曜・第4土曜日(8時から16時まで)
「いろは坂」を下ると黒門  桜の季節にまたお参りに寄りたい。
参道にある眞徳寺、遊行寺の塔頭(たっちゅう)
落ち葉、石畳と鳩
JR藤沢駅北口を降り、遊行通り(ビックカメラとスルガ銀行の間の道 )を北上。
道なりに進むと藤沢橋交差点に出ます。
ここを直進し歩道を渡りきった所にある
白い蔵造りの建物を右に曲がり、赤い遊行寺橋を渡ると、そこから黒門が見えます。
 直線で約1Km、徒歩15分。

(C) Copyright Ricky Aoyagi 1998-2005. All Right Reserved.