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 杉本寺

天台宗  大蔵山観音院杉本寺  創建 天平6年  開山  行基菩薩 

本尊  十一面観音

かまくら子ども風土記(上巻)P69〜P71
  杉本寺  
    歌の橋からさらに東へ進むと、金沢街道ぞいの左手に石段がみえてきます。そ
の上にあるのが鎌倉最古の寺といわれる、坂東観音霊場三十三番の札所第一番の
杉本寺です。寺の伝えによると、今から約千二百五十年前、聖武天皇の天平三年
(731年)行基菩薩が関東地方を歩いたとき、鎌倉の大蔵山から町をながめ、
「こここそ観音さまを安置するのによい場所だ。」と思い、人間の大きさくらい
の仏像を彫刻し、この山に安置しました。現在、内陣の西の方に立っている平安
時代のころの作という本尊がこれだといわれています。その後、光明皇后は夢の
中で、「東国には中央の力がいきわたらず、悪人が絶えない。願わくば、財産を
寄付して、東国の人々を救ってください
。」という言葉を聞き、不思議に思い、行基に尋ねたところ、「それはたぶん、
私が鎌倉の里に安置した観音菩薩の化身でしょう。」と答えました。そこで光明
皇后は右大臣藤原房前と行基
菩薩に命じて、財産を寄付して、天平六年(734
年)の春、この寺を開いたと伝えられています。
  また、文徳天皇の仁寿元年(851年)慈覚大師がこの寺で霊感にうたれ、自
ら海辺に浮かぶ木を彫刻して作ったという十一面観音の尊像をこの山に安置した
と伝えます。今、内陣にある中央の本尊(国の重要文化財)がこれに当たるもの
だといわれています。
  さらに寛和元年(985年)花山天皇の言いつけで、横川恵信僧都が十一面観
音を作り、それを熊野権現の教えによって杉本寺に納めたといわれます。今、内
陣の東に立っている仏像(国の重要文化財)は、鎌倉時代のころのもので、これ
に当たるといわれています。その後、花山天皇が法皇になってから、永延二年
(988年)に杉本寺を坂東大一番と決めたといわれています。それから今日に
至るまで、巡礼が絶えません。お堂のあちこちに、自分の名を刷りこんだ千社札
がはられています。この札をはると、この堂におこもりしているのと同じことに
なるのだそうです。
  文治五年(1189年)十一月二十三日の夜、隣家の失火によって、お堂がみ
な焼けました。そのとき観音さまはいつの間にか庭の大杉のもとに避難して立って
いたということです。
人々はその力に感心して、だれいうとなく杉本観音というようになりました。
  源頼朝も深く信仰し、健久二年(1191年)九月十八日には源実朝も参詣し
ています。いつのころからか、この寺の前を馬に乗ったまま通ると、落馬すると
いわれたため、下馬観音ともいいます。杉本寺の後ろの丘は杉本城址で、もと山
城があったところです。  
 
     
         
  かまくら子ども風土記(上巻)P71   
  坂東三十三ヵ所観音霊場(県内)   
  第一番 杉本寺(鎌倉市)第二番 岩殿寺(逗子市)第三番 安養院(鎌倉市)  
    第四番 長谷寺(鎌倉市)第五番 勝福寺(小田原市)第六番 長谷寺(厚木市)   
    第七番 光明寺(平塚市)第八番 星谷寺(座間市)第十四 番弘明寺(横浜市)  
         

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