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延命寺
(えんめいじ)

浄土宗   帰命山延命寺    開山  専蓮社昌誉能公上人

本尊  阿弥陀如来

かまくら子ども風土記(上巻)P121〜P122
  延命寺  
    下馬から東へ行くと、すぐ右に鎌倉時代の政治家として有名な北条時頼の夫人が建てたと伝えられている浄土宗の延命寺があります。ここにまつられている身代わり地蔵は、お寺の伝えでは運慶の作といわれています。この身代わり地蔵は裸の姿で作られ、普段は衣を着せてあります。鎌倉時代には、信仰上、写実的な彫刻がつくられました。有名な八幡宮の弁財天や、この延命寺の地蔵もその遺作の一つです。大変珍しいうえに、その呼び名について北条時頼夫人にまつわる話が残っています。
   ある日、時頼夫人が双六勝負で賭けをして遊びました。ところが、この勝負には夫人のほうが旗色が悪くて、夫人は困っていました。何とかならないものかと、心の中で一心にお地蔵様を念じたところ、不思議なことに、お地蔵さまが女の姿になって双六の上に立ち現れて夫人を救ったといわれています。それ以来、自分の身代わりになって苦しい立場を助けていただいたお地蔵様というので、時頼夫人はこれを守り本尊として深く信仰しました。世間の人々もこのような話から身代わり地蔵様といって敬い、言い伝えにちなんで、いつも双六の上に安置されています。延命寺には、江戸時代の仇討ちで有名な赤穂四十七士のひとり、岡崎八十右衛門の三男が出家して、この寺の住職になったという話も残っています。その住職が書いた義士銘々伝が今も残されています。前には義士画像もあったそうですが、今はありません。なお、この寺の境内には狸の墓があります。いつのころかわかりませんが、延命寺と教恩寺をすみかとして、時おり出ては人を驚かしたという、数百年も経った古狸が死んだので、墓を建てて供養したものだといっています。今ではにぎやかな鎌倉ですが、昔はこのように狸がすんでいたのでしょう。
 
         

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