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蛇苦止大明神
(じゃくしだいみょうじん)


かまくら子ども風土記(上巻)P116〜P117
  蛇苦止明神   
     妙本寺の境内の西北のすみに蛇苦止明神社がありますが、これについては、こんな話が伝えられています。
   比企ガ谷で能員一族が滅ばされたとき、能員の娘(若狭局、一幡の母)が家宝を抱いて井戸へ入水しました。その娘が蛇に化けて今も家宝を守っているといい伝えられています。後に若狭局の霊がたたりをして、執権の北条政村の姫君がもだえ苦しむようなひどい病気にかかりました。そこでその苦しみからのがれるために、若狭局の霊をまつる祠を建てました。これが蛇苦止明神だと伝えられています。また、若狭局が入水した井戸を蛇形の井戸といっています。松葉ガ谷にある六方の井戸は蛇形の井戸と通じているといわれ、家宝を守っている主の蛇は、六方の井戸と蛇形の井戸を往復していて、蛇形の井戸に主の蛇がいるときはその井戸の水面にはさざなみが立ち、六方の井戸にいるときは絶対にさざ波はたたないといわれています。
   蛇苦止明神はこの妙本寺の守護神となっています。また、別に次のような話もあります。
   応永二十九年(1422年)のこと、佐竹氏と上杉氏の戦争があって、負けたほうの佐竹上総介入道常元は、山を登って、妙本寺祖師堂の中で自殺しました。あとを追ってきた上杉方は、祖師堂に火をつけました。そのときの住職日行上人は急いで堂の前の宝蔵から、これだけは焼かれないようにと、日達上人がお書きになったといわれている本尊の曼荼羅を取り出して、それを蛇苦止明神の井戸の中に隠しました。すると空に黒雲が起こり、その中に蛇の姿が見え、やがてものすごい音といっしょに雨がざあざあと降り、火を消してしまったということです。
  この事件があってからこの本尊は「比企ガ谷蛇形本尊」と呼ばれ有名になりました。これからの宝物は、霊宝殿の中に納められています。
 
         
蛇苦止明神を祀る堂 右手奥蛇形の井戸

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