鍛冶始


第49回 静の舞
藤間流 藤間絵美幸

舞殿
鶴岡八幡宮
2007.04.08



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第48回 「静の舞」は、鶴岡八幡宮 舞殿改修工事のため行われませんでした。

以下は、「静の舞」の見方、意味合いはいろいろあると思いますが、日本舞踊家の西川矢右衛門氏の奥深い解説、
「しずのおだまき」に注目、氏の「ちょっと歴史」から本文のみ引用してご紹介したいと思います。

 賤の小田巻(しずのおだまき)

「しずやしず しずのおだまき 繰り返し
むかしを今に なすよしもがな」

これは、静御前が詠んだ歌です。
静御前というと、源義経の愛人で、
「白拍子」という、昔の高級クラブのホステスさんみたいなもんでした。
お酒の相手をしたり、
時にはお客さんの前で舞を舞ったりします。
舞う時は烏帽子をつけて男装しました。
まぁ、今の宝塚歌劇の男役さんみたいなものでしょうか。
パーティーみたいなものがあると
出張サービスで会場まで舞いに行きました。
相当高貴な人々のお邸にも出入りしていましたので
会話も上手で、頭も良くなければなりません。
そして、
美人である事が必要最低条件です。
世の男どもから、憧れの眼差しで見つめられる反面
身分的には賤しいものとされ
色目で見られたり、蔑まれたりもしました。

そんな白拍子の中でも
静御前という人は超一流の売れっ子だったようで
ある時、百日の旱があって、
白拍子を百人集めて雨乞いの舞をさせたんだそうです
しかし、誰が舞っても一向に雨は降りません
ところが、静が舞い始めると
三日間も洪水になってしまったんだそうです。
そこで、大変感心した院が
静に「日本一」の院宣を与えたんだそうです。
つまり、当時の有名人だったんですね。
おまけに、この静、薙刀の名手ときてるんですから
もうハチャメチャです。

そんな絶頂期の静の前に
これまた当時都で人気絶好調の男が現れます。
それが源義経です。
義経は、平家を壇ノ浦で滅ぼして凱旋して来たヒーローでした。
そんな「ヒーロー義経」と「日本一の静」がくっついたんですから
今だったらマスコミで大騒ぎになる所です。
ところが、運命というのは分からないもので
「ヒーロー義経」は、お兄さんの鎌倉殿(頼朝)の怒りに触れて
暗殺者は送り込まれて来るは
院や都の権力者からは手のひらを返された様に
冷たくあしらわれるはで
都に居られなくなってしまいます。
実を言うと義経さん、ちょっと前まではモテモテだったので
静の他にも愛人ってのは沢山居たみたいなんですね。
ところが、義経が都落ちした時、
最後までついて行ったのは静だけでした。
この後、義経と静の一行の逃避行は
時には離れたり、再会したりで
まさに艱難辛苦の一言に尽きる状況になります。

この静って人も、他の愛人や白拍子達の様に
もっと賢く世渡りすればよかったのに・・・
それが出来る人脈も状況も揃ってたのに・・・
と思ったりもしますが、
どうも本気で義経の事が好きだったんでしょうねぇ・・・。
それともう一つ、実を言うと
この時静は、義経の子供を身籠っていたみたいなんです。
身重の体で吉野の山中を彷徨い続けて
最後には、ここで義経と生き別れになります。
半分、足手纏いだから捨てられた様な別れ方です。
その後、義経の消息はプッツリ途絶えてしまいます。
生きてるのか死んでるのかさえ分からなくなってしまうのです。

さて、ここからが、この
「賤の小田巻」という話の本題に入ります。
この後、静は鎌倉に呼びつけられる事になります。
ところが、その名目が
「鎌倉殿(頼朝)の妻、政子が日本一の静の舞を見てみたいというので・・・」
この皮肉が解かりますか?
静は、一番最近まで義経と行動を共にしていた人間です。
その義経を、鎌倉方は血眼になって探しています。
普通なら静は重要参考人として呼びつけられる筈です。
それなのに、この扱い・・・
つまり、頼朝はこう言いたいのです
「お前の様な人間は、公の場に出て証言できる様な身分の者ではない。
賤しくも白拍子なら、客から呼ばれたら
鎌倉だろうがどこだろうがやって来い!
それも、自分の意思で・・・」
おまけに、客のメインは同性の女です。
今、一番ときめく鎌倉殿の妻・・・
それともう一つ、頼朝には、目的がありました。それは、
「この際、静の腹の中に居る義経の子供を殺してしまおう!」
という魂胆です。
静は、鎌倉にやって来ます。
おそらく、プライドも何もかもズタズタに引き裂かれる気持ちだったでしょう。
そして、鎌倉で頼朝と対面するのです。

対面の場で、重臣列座の中、頼朝は口を開きます。
「今ここで、静の腹を裂いて赤子を取り出し、目の前で殺してしまえ!」
あまりにも残酷です。
あまりにも残酷ですが、この悲しみは、頼朝自身も若い時に経験したものでした。
昔、まだ頼朝が流人として伊豆に居た頃
頼朝は一つの恋をしまして
その女性との間に子供が一人出来ました。
ところが世は平家の全盛時代です。
流罪人頼朝の子は、可哀そうに皆で寄ってタカって
川に投げ込まれてしまったんです。
しかも、頼朝の目の前で・・・!
この時、頼朝は
「今の時代、罪人は子供なんか作ってはいけないんだ!」
と思ったのではないでしょうか
そして今、同じ事を静に要求しているのです
さすがにこの場は仲介する者があって、
「今ここで」というのは無理があるという事になりますが、
後に出産した時に、男子であれば即、殺す
という事に決定してしまいます。
ちなみに、後の事になりますが、
静の子は男の子でして
生まれると同時に川に投げ込まれることになります・・・。
頼朝の子と同じ様に・・・・。
そして、最初の名目の静の舞の方は
鶴岡八幡宮で奉納舞をするという事に決定するのです。
八幡宮は源氏の氏神です。
当然、静は鎌倉万歳を祈る舞をしなければならなくなります。

そして、ついに鶴岡八幡宮奉納舞の日がやって来ます。
当日、鶴岡八幡宮は異常な盛り上がりを見せていました。
今、世を騒がせている義経の愛人が鎌倉万歳を祈って舞う!
鎌倉中の人々が、静の舞を見ようと集まって来ます
高座には、頼朝・政子夫妻が並んで座ります。
静の登場・・・そこで静はこう名乗ります。

「これは静と申す白拍子にて候」

わかりますか?この静の気持ち・・・。
本来なら、弟の愛した女です。
ひょっとしたら、頼朝のことを
「お義兄さん」
と呼べたかもしれない女です。
その女が、わざわざ
「私は白拍子です。」
と、名乗りをあげるのです。
これは、静の精一杯の抵抗なんではないでしょうか・・・。
そして、舞い始めます。

「吉野山 峰の白雪 踏み分けて
入りにし人の あとぞ 恋しき」


 この時、頼朝の顔色がサッと変わったそうです。
これは恋の歌です。
鎌倉万歳どころか、吉野で別れた罪人義経が恋しい・・・という歌です。
続けて静は舞いました。その時の歌が、冒頭の歌です。

「しずやしず しずのおだまき 繰り返し
むかしを今に なすよしもがな」

う〜〜ん、ちょっと解かりづらい歌ですねぇ
ところが、この歌は、実を言うとパロディーでして、
本来はオリジナルの歌がありました。それは

「いにしへの しずのおだまき 繰り返し
むかしを今に なすよしもがな」 
「伊勢物語」

というものです。
この「伊勢物語」の中では、男が昔付き合ってた女の人にこの歌を捧げて
「もう一度昔みたいに会いたいなぁ」
と言ったけど、女の人は何の返事もくれなかった・・・
という、ただそれだけの話として出てきます。

「おだまき」というのは、「苧環」とも「小田巻」とも書きまして
昔の糸を繰る道具です。
真ん中が空洞になってまして、糸を巻きつけて使います。
くるくる廻るので、そこからこの「おだまき」というのは
「繰り返す」という言葉の枕詞になっています。
「しずの・・・」というのは、「賤(シズ)」という布の事です。
これは、身分の低い人が着た衣服の布でした。
そこで静は、この「しずの・・・」という言葉に
自分の名前「静」をかけて
「白拍子のような賤しい身分の私」
と表現する事で、頼朝に対して皮肉を言ったわけです。
歌の意味は、表面的には
「白拍子として蔑まれながら鎌倉まで呼びつけられた私だけれども
義経を想う心に嘘偽りはありません
あぁ、昔の華やかだった頃の様に
義経と一緒に幸せに暮らしたい・・・」
といった様な意味になります。
ちょっと飛躍してるかもしれませんが・・・。

ところが、この「しずのおだまき」という言葉には、
もう一つ裏があります。それは、
「古今集」

「いにしへの しずのおだまき いやしきも
よきも さかえは ありしものなり」

という歌です。
頼朝は、若い時は都で過ごしていますので
趣味が都人のようなところがありまして、
きっと、「古今集」のこの歌くらいは知っていたと思われます。
そして、「しずのおだまき」という言葉を聞けば
この歌の事が頭に浮かんだ筈です。
これは、痛烈な皮肉です。

「私が、昔華やかだったのに今こうして惨めな姿を衆人の前でさらしているのと同じ様に
あなたにも華やかに栄えるときはあるでしょう。そして、いずれ・・・」

または

「昔、あなたは流人でした。
今はときめいていますけれども
出来る事なら昔の様に
あなたを流人に戻してしまいたいものですねぇ」

これは鎌倉万歳どころではない
鎌倉を、または頼朝を呪う歌です。
また、他にも「昔」という言葉をちょっと捻ってみますと

「昔、あなたが子供を殺されて悲しかった思いを
今、またここで繰り返したいのですね」

という頼朝に対する抵抗の歌にもなります。
深読みしすぎかもしれませんが
私には、この「しずやしず・・・」の歌には
こんな色々な想いが詰まっている様に思えてならないのです。

当然、頼朝は怒りました。
普段冷静な頼朝が、この時ばかりは
傍目にも分かるくらい顔色を変えて怒ったそうです。
その頼朝を宥めたのが、妻の政子でした。

この政子という人は恐ろしい女でして
昔、頼朝が浮気をした時に
相手の女の所に殴り込みをかけて
叩き殺してしまったという経歴をもっています。
実際、頼朝が若くして死んでしまった後、
この政子が幕府を切り盛りして屋台骨を支え続け
「尼将軍」と呼ばれるようになる女性です。
政子が頼朝と付き合いだした時
頼朝はまだ流罪人でした。
当然周囲は猛反対だったんですが
嵐の夜に家を飛び出して
ビショ濡れになりながら頼朝の許へ駆けつけた・・・
という情熱の人でもあります。

その政子が、この時頼朝に向かって
「女の気持ちというものは、そういったものです。」
という様な事を言ったんだそうです。

女が白拍子を呼びつけて、さらし者にしよう・・・
という企みは、見事失敗に終わりました。
恥をかいたのは、
人間性の貧しさを衆人の前でさらし、
あげくの果てに妻の一言で尻尾を巻いてしまった頼朝の方でした。

このせっぱ詰まった状況の中で
静が見せた毅然とした態度は
多くの人々に感動をもたらし、
この場で謳い上げた義経への愛は
それを受け止めた政子と共に
美談として後世に語り継がれて行くのでした。

解説文  日本舞踊家 西川矢右衛門氏
「ちょっと歴史」より
本文のみ引用させていただいています。

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