建長寺エリア 順路 同契院


建長寺 塔頭
(けんちょうじ  たっちゅう)

西来庵
(せいらいあん)

臨済宗建長寺派  西来庵   開山  蘭溪道隆  
  嵩山門(すうざんもん) 西来庵唐門
  かまくら子ども風土記(中巻)P14〜P17
 
  大覚禅師の墓  
    一般の人は入れませんが、つり鐘堂を右に見て、門をくぐってしばらく行くと西来院があります。ここは坊さんたちが座禅をくんだり修行をしたりするところです。ここには国の重要文化財になっている昭堂があります。このお堂の後ろの山に、大覚禅師の墓があります。この墓は、無縫塔(卵塔)という石塔で、国の重要文化財に指定されているりっぱなものです。大覚禅師、弘安元年(1278年)七月二十四日、六十六歳でなくなりました。   
     
  仏光国師の墓  
    大覚禅師の墓のそばにもう一つ無縫塔があります。大覚禅師の墓より少し小さいですが、これが仏光国師(無学祖元)の墓です、もともと仏光国師は、北条時宗に呼ばれて、弘安三年(1280年)日本に来て建長寺に住み、弘安五年(1282年)に円覚寺の開山となり、弘安九年に建長寺でなくなりました。六十一歳でした。   
     
   織田有楽斎の墓  
    西来院の前を通って右に行くと、りっぱな五輪の塔があります。これは信長の弟、織田有楽斎の墓だと伝えられていますが、公開されていないので、あまり人には知られていません。有楽斎の墓は京都の建仁寺にもあります。どうしてここに有楽斎の墓があるのかよくわかりませんが、昔ここにあった長好庵という寺にいたのではないかと思われます。二月になると、この墓のまわりに紅梅が美しく咲き誇ります。  
     
  建長寺の中には四十九の寺院がありましたが、現存するのは九院です。このうち西来院・同契院の二つは入ることができません。他の七院は許しを得て見学することができます。  
  西来院  
  開山、大覚禅師蘭渓道隆の塔所で、昭堂は江戸時代の記録に長禄二年(1458年)建造と記されています。寺宝には、大覚禅師所持のものといわれる円鏡ほか関係の仏具類が多くあります。  
     
   本文中、西来院(さいらいいん)と書いてありますが西来庵(せいらいあん)です
禅修行および墓参以外は平常は立ち入り禁止です。

ぼたんの季節に鑑賞のために入山させていただける時があります。
これらの写真は、開放日に撮影したものです。
 
             

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