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妙長寺
(かいちょうざん みょうちょうじ)


日蓮宗   海潮山妙長寺    創建  正安元年(1299年)   開山 日実上人

本尊  三宝祖師

かまくら子ども風土記(上巻)P177〜P178
   妙長寺
     啓運寺の向かい側に、日蓮上人伊豆船出の史跡のある海潮山妙長寺があります。開山は日蓮上人の弟子日実上人です。
  弘長元年(1261年)五月十二日の朝のことです。北条一門から憎まれていた日蓮は、琵琶小路で幕府の役人に捕らえられ、門注所の取調べも受けず、いきなり由比ガ浜に連れて行かれ、伊豆の伊東へ流されることになりました。急を聞いてかけつけた信徒の武士や、愛弟子の日朗の別れを惜しむ声を跡にして日蓮は由比ガ浜の沼ガ浦というところから船出しました。
  ところが、幕府の役人は船を伊東へつけないで、海岸にほど遠い俎岩という岩の上に日蓮を降ろして帰ってしまいました。俎岩は干潮のときは海面にでていますが、潮が満ちてくると海の中に深く隠れてしまう岩なのです。岩の上の日蓮は大声で「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えていました。
  付近で漁をしていた舟守弥三郎という漁夫がそれを聞きつけて舟をこぎ寄せ日蓮を救いました。この舟守弥三郎のむすこが日蓮の弟子となり後の日実上人となりました。
 日実上人は、日蓮がなくなってから十八年目の正安元年(1299年)鎌倉へ来て、「父がお救い申し上げたお師匠さま
はどこから舟にのられたのだろう。」と調べ、沼ガ浦ということがわかると、そこにいちばん近い丘の上にお堂を建てました。これが妙長寺です。
  それから四百年ほどたった天和元年(1681年)に大津波のため寺は流され、今の場所に移ったのです。境内に「日蓮上人伊豆法難記念」と刻まれた相輪塔があります。相輪塔というのは五重の塔を略したもので、五重の塔の頂上の銅製の九輪だけを石柱の上に立て、その四方にも石柱を立てて中央の柱をささえたものです。この相輪塔は高さ約十メートル、昭和八年五月十二日に建てられました。中央の石柱は、関東大震災のときくずれた鶴岡八幡宮の二の鳥居の一部で、裏側に寛文八年(1668年)八月十五日御再興と刻まれています。 
       

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