進献式


進献式

光則寺
2013.04.16

取材許可により撮影しております。

4月16日は光則寺さんにて「進献式」を取材。
「進献式」は、「立正安国論御勘由来」によると、『正嘉元年8月23日戌亥の時、前代に超えたる大地振。同年2年8月1日大風。同3年大飢饉。正元元年大疫病。同2年四季に亘りて大疫已まず。万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。(中文略)・・・・。日蓮世間の体を見て(中文略)・・・・終に止むこと無く勘文一通を造り作し、其の名を立正安国論と号す。文応元年7月16日屋戸野入道(宿谷行時)に付して、古最明寺入道殿(北条時頼)に奏進し了んぬ。(以下略)』

また、光則寺縁起の「立正安国論と光則寺」については次のように記されています。
『光則寺は北条時頼の近臣、宿谷行時・光則父子の邸址である。
日蓮聖人は文応元年(1260)行時の邸を訪れ、その手を経て「立正安国論」を時頼に奏進した。
光則寺の創立は、日蓮聖人が佐渡流罪をゆるされ、鎌倉を経て身延山に入られた(文永11年1274)その頃宿谷行時の子、光則は日蓮聖人に帰依し、光則寺を創立した。』

光則寺の「進献式」は7月16日に行われていましたが、何時の日か樹齢200年と言われる見事な海棠が咲く頃の4月16日に行うようになりました。
近年では温暖化や異常気象などにより海棠の開花時期も一定しません。
今年はヤマフジが例年になく、地面近くまで花房が垂れ下がり全体的にも房がよく付き迎えてくれました。

14時からご住職様によるご法話に続き、境内の「土籠御書」の石碑の前での法要。14時30分から本堂にて、ご住職そして近隣の日蓮宗の僧侶および壇家の皆様や地元の皆様のご参列により法要が執り行われました。途中、檀家さまの扮する「比企大学三郎能本」は「内見奏白文」を、「屋戸野入道」は「立正安国論」を読み上げ、「立正安国論」を「古最明寺入道殿」(北条時頼)に奏進する場面が献納されました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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